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国内歴史

奈良・桜井の大神神社で大杉玉の取り替え

 酒造りの神様として信仰を集める奈良県桜井市の大神神社で13日、拝殿に飾られている大杉玉が新しい杉玉に掛け替えられた。14日には全国の酒屋・酒造家の関係者ら約150人が出席して「酒まつり(醸造安全祈願祭)」が行われる。

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 大杉玉は毎年1回掛け替えられる。新調された大杉玉は直径約1・5メートル、重さ約250キロ。竹籠(たけかご)に大神神社のご神体・三輪山の杉の葉を放射状に差し込んで作られている。職員が2日がかりで製作しこの日朝、古い大杉玉と交換して拝殿の天井につるされ、巫女(みこ)が「志(し)るしの杉玉」と書かれた木札を取り付けた。

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 杉玉は酒蔵のシンボルで、美酒づくりを祈願して玄関に飾られる。江戸時代には大神神社のご神木の杉の葉をつるす風習が広まっていたという。

 境内の南西回廊では15日まで、全国の醸造会社などから奉納された日本酒約300本を展示した「全国銘酒展」を開催。中には境内のササユリから採取された酵母菌「山乃かみ」を使った県産の酒も並ぶ。14、15日には拝殿前で奉納樽酒を升に入れてふるまう「振る舞い酒」も行われる。

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(産経WEST11月14日;



【今日の風景3】

朝から嫌なニュースばっかりでした。

大神神社、大和一ノ宮。

でも奈良には古い神社が多い。

物部氏の氏社の石上神宮も。

この2つは、出雲大社より古いかもしれない。


神様は、倭大物主櫛甕玉命。

おおものぬし、神武天皇はその娘婿。 

出雲大社の大己貴命(おほなむち)に頼まれて共同で日本統一をやったとか。

大己貴命の象徴は鉄剣 、鉄を産出する鉱山を所有し、製鉄の技術を持った集団の長

大物主の象徴の一部は 、活玉依比売(イクタマヨリヒメ)を手に入れた事。

北陸地方産出の玉(翡翠)。

これに卑弥呼(+台与)の象徴の八咫鏡(やたのかがみ)が加わると三種の神器となる。

連合政権の出来上がり。


石上神宮の物部氏?

元は呪術集団であり、当時最大の軍事集団。

相当古い時代に中国から渡ってきた可能性がある。

まぁ、あんまり詳しいことはまた、次の機会に。


 

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坂本竜馬 北辰一刀流免状「兵法目録」、実物と判明 

幕末の志士、坂本龍馬が、剣豪・千葉周作が創始した「北辰(ほくしん)一刀流」の免状を取得していたことを示す「北辰一刀流長刀兵法(ちょうとうへいほう)目録」が実物と判明し、京都市東山区の京都国立博物館で7日、十数年ぶりに報道陣向けに公開された。

目録の存在は知られていたが平成12年以降、所在不明だったという。

 龍馬が千葉一門の道場で剣術を学んだことを裏付ける貴重な資料で、同博物館の宮川禎一室長は「龍馬が実際に強かったことを示す直接的な証拠。ファンなら泣いて喜ぶはず」と話した。

 同博物館によると、目録は縦約18センチ、横約2・7メートルの巻子(かんす)。
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安政5(1858)年に、20代の龍馬が修行した千葉道場の道場主、千葉定吉から授けられたとされ、定吉の直筆で、「鞆砕(ともくだき)」や「白羽取(しらはどり)」など21種類の技の名前を記載。許嫁と言われる千葉佐那の名前も記されている。

 高知県香南市の龍馬歴史館の北村精男(あきお)館長(74)が今年3月に高知市内の70代男性から譲り受け、京都国立博物館に鑑定を依頼。

他の剣術目録との共通点などから実物と判明した。
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 龍馬の長兄の子孫、坂本匡弘(まさひろ)さん(50)は「生誕180年に、長く行方不明になっていた免状がみつかり、龍馬も安心しているのでは」と話していた。

(産経WEST11月7日;



【今日の風景】

10月15日の記事の続編

現存するのは、なぎなた兵法目録。

前記事によれば大正6年の火災で「北辰一刀流兵法皆伝」は焼失とある。

ただ目録をもって皆伝書というかどうかが不明確。

もうひとつ、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」の中に確か竜馬は、神田於玉ヶ池の千葉道場ではなく桶町の千葉定吉の道場へ通っていたとあるが、目録は千葉周作と定吉の連名になっている。

竜馬は、千葉周作にも手ほどきを受けていたのか?

後の発見と考証が待たれる。


雨です。

でもあったかい。

午前中は雑用をしていて・・・今。

店の中がぜんぜん片付かない。

ネコの肉球も借りたい状況って・・・何の役にもたたないか。

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※画像はフリーを使用しています。


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「あさが来た」モデル、広岡浅子ゆかりの資料1万点発見

 NHKの連続テレビ小説「あさが来た」の主人公のモデル、広岡浅子(1849~1919)が嫁いだ大阪の豪商・加島屋(かじまや)が幕末に各地の藩に貸した金の借用書や、浅子の手紙など約1万点の資料が、奈良県橿原市の民家で見つかった。

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 加島屋の分家を切り盛りしていた浅子が、新政府との交渉に向けて旧藩の借用書の整理を手がけた可能性もあるという。

 見つかったのは江戸時代以来、奈良県で山林経営をしている岡橋家。

 加島屋の10代当主・広岡正直の娘が嫁いでおり、太平洋戦争の際に広岡家が加島屋関係の古文書を「疎開」させたものという。

 借用書は仙台、長州など藩別に封筒に入れられて整理されていた。

 明治政府は旧藩の借金を新設の県に引き継がせる際、金を貸した両替商らに借用書などの提出を求めており、その際に整理したとみられる。

 中津藩(今の大分県中津市)の借用書には、大阪の蔵屋敷に勤めていた福沢諭吉の父、百助(ひゃくすけ)が署名したものもあった。

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(朝日新聞デジタル11月5日;
ソース:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151105-00000032-asahi-soci




【今日の風景2】

稀代の女傑である。

小石川三井家六代当主・三井高益の四女。

三井十一家のひとつは、京都錦市場のすぐ近く(歩いて5・6分)に今もある。

錦市場へ行く機会があればぜひご覧あれ。

向かいか並びには確か鈴木商店もあったような。

大同生命の創始者の一人、東京女子大学校の創始者の一人。

さすがである。 


少し調子が悪い。

寝汗をかく。

食欲は変わらずある。

じじぃの攪乱か・・・。

つまらん。 

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※画像はフリーを使用しています。


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秋色の「御薬園」 会津若松・紅葉の集いで無料開放

 文化の日に合わせ、会津若松市の会津松平氏庭園「御薬園」で3日、紅葉の集いが開かれ、来園者が紅葉や茶席などを楽しんだ。

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 秋深まる園内を楽しんでもらおうと毎年、無料開放している。茶席が設けられたほか、新鮮野菜と果物の即売会、起き上がり小法師(こぼし)絵付け体験、庭木と薬草の手入れ講習も行われた。



鶴ヶ城の東、徒歩15分の場所にあり、中央に心字の池を配した回遊式の借景園と、各種薬草を栽培する薬草園が御薬園の名前の由来です。

室町時代に葦名盛久が霊泉の湧きだしたこの地に別荘を建てたのがはじまりと言われています。昭和7年に徳川時代の代表的な大名型山水庭園として国の名勝に指定されました。


 千利休の子・少庵が建てたと言われる茶室です。
 
 豊臣秀吉の奥州仕置きによって天正18年(1590)蒲生氏郷が会津に入り(42万石のち92万石)、近世的支配を確立していきました。氏郷は織田信長の娘婿であり、器がおおきく勇猛な武将であるうえ、この時代を代表する文化人で、特に茶道に親しみ、のち利休七哲の筆頭にあげられるほどでした。
 
 そして氏郷は利休の茶道が途絶えるのを惜しんでその子、少庵を会津にかくまい、徳川家康とともに千家復興を秀吉に働きかけました。 その結果、文禄3年(1594)と推定される「少庵召出状」が出されたのです。
 
 少庵は京都に帰って千家を再興し、千家茶道は一子、宗旦(そうたん)に引き継がれました。

 そののち宗左、宗室、宗守の3人の孫によって表、裏、武者小路の3千家が興され、今日の茶道隆盛の基が築かれました。 かくまわれている間、氏郷のために造ったと伝えられているのが「麟閣」です。

 
(福島民友ニュース11月4日;ソース:http://www.minyu-net.com/news/news/FM20151104-025413.php)



【今日の風景3】

『御薬園』とともになかなかによろしい『麟閣』。

大山崎町の妙喜庵『待庵(たいあん)』。

芝増上寺裏にある皇女和宮茶室『貞恭庵』。

隠れた名茶室もまだまだある。


会津は歴史上、東北流通・文化の一大拠点のひとつでもあった。

「古事記」に古くは相津と書いたとされる記事がある。

 崇神天皇の時代、諸国平定の任務を終えた四道将軍大毘古命と建沼河別命(たけぬなかわわけのみこと)の親子が、この地で合流したことに由来するという。

会津美里町の伊佐須美神社縁起にも同様の伝承がある。

 また室町時代末期に蘆名氏が伊達氏に滅ぼされた後、会津を伊達氏の直領としたことも、安土桃山時代に豊臣秀吉の命で蒲生氏郷の所領となった後、名門上杉氏の所領となったこともそれを示している。

秋の風情と古い歴史を、同時に感じさせてくれるなかなか良いところである。

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※画像はフリーを使用しています。
 

希少「はね」字の和同開珎 京都・長岡京跡で

 桓武天皇が造営した長岡京(784~794年、京都府長岡京市など)跡から、字体にはねのある珍しい和同開珎が3枚見つかり、同市埋蔵文化財センターが30日、発表した。

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 調査を担当した兵庫埋蔵銭調査会によると、はねのある和同開珎は、長岡京以外では石川、滋賀、奈良の3県でしか見つかっておらず、全国で出土した約5700枚のうち数十枚しかないという。
出土したのは「和同開珎」の4字全てにはねがある2枚と、「和同珎」の3字にはねがある1枚。

 字体にはねがある理由は不明だが、当時の道路交差点や側溝から見つかっており、祭祀に使われたとみられる。

 はねのある和同開珎は、江戸時代の「珍銭奇品図録」などに掲載されており、当時のコインマニアも注目していたらしい。

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 今回の3枚は、長岡京市立埋蔵文化財調査センターで11月1~30日に開かれる特別企画展「長岡京の銭貨」で展示される。

(産経フォト10月30日抜粋) 


【今日の風景3】

ここから歩いて3・4分くらいのところで遺跡発掘してます。

スーパー『万代』になる予定。

たぶんそこから「はね」字和同開珎が出た。

道路拡張でだいぶ前からそこらじゅう掘ってる。

関西の街道沿いには相当古い時代からの遺跡が埋まってる確率が高い。

西国街道。

淀川(桂川)沿いということもある。

飛鳥の山之辺の道はもっと古い。

意外なくらい街道の歴史は古い。

江戸時代の有名な街道は、飛鳥時代には既にほとんどあったみたい。

むしろ昔の街道のほうがまっすぐで使いやすかった可能性が高い。

ローマ帝国の街道みたいな。

まあインフラ整備は、文明の基本だから当たり前といえば当たり前。

しかし不思議なのは、だれがだれの命令で測量して作ったか?

3世紀には既に奈良県桜井市の『纒向遺跡』があった。

面積は3km²(1km×3km) 。

りっぱな集権政治都市。

運河まであった。

当然文字も書籍もあったはず。

今後の研究に大いに期待。

そういえば『※細川ガラシャ祭り』がまた11月8日(日)にある。

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※画像はフリーを使用しています。
 
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