《 舛添さんが「公明党」に見捨てられた、本当の理由 》

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「文春砲」から1カ月以上にわたってサンドバック状態だった舛添要一東京都知事がついに辞表を提出した。

【舛添さん、都庁を離れることに】

 常人ならばストレスで髪の毛がすべて抜け落ちてしまいそうな壮絶なメディアリンチも都議会の追及も、馬の耳に念仏という感じで受け流し、「五輪代表選手並にメンタルが強い」とまで評された舛添さんが、なぜここにきて急に心がポキンと折れてしまったのか。

 一部の報道によれば、公明党のせいらしい。辞意を固めた直後、ご本人が「公明党に裏切られた」と愚痴ったというのだ。

 『舛添知事は周辺に対して「リオオリンピックまで何とか続けたかったが、公明党が聞かなかった。それで自民党が不信任案を引けなくなった」などと話したという』(日テレNEWS24 6月15日)

 これが事実かどうかは定かではないが、話としては非常に納得感がある。今回の騒動で明らかに「潮目」が変わったのは6月13日、総務委員会で公明党の松葉多美子都議が「辞任」を迫ったことだからだ。

 松葉さんは、昨年9月に豪雨で鬼怒川が決壊し、都内の一部でも避難勧告が発令された後、舛添さんがいつものように公用車で別荘へ向かったと事実を公表し、「危機管理意識が甘い。責任感が欠如している」と批判した。

 また、公明党が東日本大震災の被災地への訪問を何度も促してきたのに、舛添さんは全く興味を示さなかった。にもかかわらず、1年間に49回も湯河原通いをしていたことにも触れて、このようにおっしゃった。

 「知事は震災からの復興五輪を語る資格はない。辞職すべきだ」

 松葉さんの前に質問をした自民都議の追及がやや温かったこともあり、公明党の最後通告はネット上でも「こういうのを追及という」「いいぞ、公明党」とかなり話題になった。

 実際、中継を見ていた方は気付いたかと思うが、舛添さんはかなり動揺していた。それだけ松葉さんの質問が切れ味鋭かったということだが、あそこまで取り乱したのは、もうひとつ大きな理由がある。

 この時まで舛添さんにとって、公明党は誰よりも信頼できる「味方」であり、都知事のイスを与えたくれた「恩人」でもあったからだ。

●鉄のハートをもつ男も、さすがに「終わった」

 「カバンに5000万円が入った、入らなかった」で猪瀬さんがお辞めになった後、都知事に名乗りをあげた舛添さんに対して当初、自民党は冷たかった。厚労大臣で知名度が上がるや否や、「自民党の歴史的使命は終わった」とサクッと離党届を提出。後ろ足で砂をかけるように、「新党改革」を立ち上げたいわば“裏切り者”だからだ。

 実際、舛添支援の方針が決まった後も、小泉進次郎さんが「応援をする大義がない」とバッサリやったように党内では拒否反応を示す者も少なくなかった。

 元総理大臣の細川護熙さんが「反原発」を掲げて、都知事選に立候補してきたので、消去法で応援にまわったものの、やはりなかなか一枚岩になれなかった。そんな頼りない自民党に代わって、鉄の結束で舛添さんを支えたのが公明党だ。

 『公明党も舛添氏と親交のある都本部代表、高木陽介党幹事長代理が中心となってサポート。支持母体の創価学会にも協力を要請した』(産経新聞2014年1月27日)

 ちなみに、高木さんの地元である日野市には、窪田知子さんという公明市議がおられるのだが、その「応援団」には、「舛添政治経済研究所 代表 舛添雅美」という人物が名を連ねている。今回の“sekoi報道”でもちょこちょこと登場してきた舛添さんの奥様だ。Webサイトで「知子さんと私たち夫婦は長年、家族ぐるみのお付き合いです」とエールを送っているように、窪田知子後援会の「激励する会」には舛添さんご本人も「友情参加」をしたこともある。

 もちろん、舛添さんが公明党と「友情」を育むのは、「選挙」のためでもある。ご存じのように、公明党のバックには、「学会票」がある。中でも創価学会婦人部は、かつてセックススキャンダルで落選した山崎拓さんですら国政に送り返した「武勇伝」もあるほど選挙に滅法強い。

 バツ2だけでなく、2人の愛人が産んだお子さんが3人いたりという艶福家(えんぷくか)イメージに加え、選挙前には「元妻へのDV疑惑」まで報じられた舛添さんもヤマタクさんとややかぶる。つまり、舛添さんにとって公明党は自身の「弱点」を補完してくれるなんともありがたい「友人」なのだ。

 その公明党からクビを宣告されたら、さすがに鉄のハートをもつ男も「終わった」と思う。公明が離れれば、もともとそこまで積極的に支援をしていたわけでもない自民もそこまでかばいだてする「義理」はない。

●公明党が舛添さんを見切った理由

 では、なぜ公明党は舛添さんを見切ったのか。

 政治評論家のみなさんの中には、参院選を間近に控え、舛添さんの国民的マイナスイメージに巻き込まれたくなかったから、という見方をされる方が多い。党利党略的にはその通りだろう。

 だが、なかなか態度を決めかねていた自民党に対し、あそこまで威勢よく三行半を突き付けたのは、舛添さんが「奥多摩」をディスったことが原因ではないかと思っている。

 神奈川・湯河原町の別荘への公用車通いが発覚した直後、まだバリバリの論破モードで登壇をしていた舛添さんは、「別荘にいる時に首都直下地震が起きたらどうするんだ」という記者からの質問に対してこう答えた。

 「全く問題ありません。奥多摩よりも、おそらく早く帰ってこられる。少なくとも時間・距離的に言うと、早いです。湯河原の方が」

 後に、西多摩選出都議から「東京都の知事が奥多摩や檜原と湯河原を比較し、あたかも奥多摩が遠くて湯河原が近いように言うことは信じがたい」と批判され、謝罪に追い込まれたのは記憶に新しい。

 ただ、この「失言」は、奥多摩にお住まいの方たちがイラッとしただけではなく、舛添さんの「友人」もかなり不快な思いをされた。というのも、創価学会のみなさんにとって、「奥多摩」というのは特別な意味をもっている場所だからだ。

 部外者が語って何か間違いがあると困るので、多摩地域を管轄する創価学会第2総東京のWebサイトから、小川武志・第2総東京長の説明を引用させていただこう。

 『第2総東京と創価の師弟の淵源は、昭和5年(1930年)、創価学会創立の年の9月24日、牧口常三郎初代会長が奥多摩・氷川の地を訪れたことに遡ります。昭和29年9月、戸田城聖第2代会長が、「水滸会」(当時の青年部の人材グループ)の第1回野外研修のため、氷川に向かいました。戸田会長は道中、八王子の地を訪れた際、「将来、ここに平和・文化の一大拠点を築きたい」と語ったのです。その恩師の言葉を胸に刻んだ、池田大作名誉会長は、緑と人材あふれる多摩地域に、限りない未来の可能性を見出し、常々、「三多摩の時代が必ず来る」と語りました』

●都知事になった舛添さんは「三多摩軽視」

 つまり、学会員のみなさんにとって、奥多摩は『三代会長の魂が脈打つ師弟有縁の天地』(Webサイトより)なのだ。そんな特別な場所を、「別荘通い」を正当化するために引き合いに出されたら――。

 いやいや、「奥多摩が遠い」と口を滑らせたくらいでそんなに怒らないでしょ、と思うかもしれない。確かに、これが普通の知事なら「ごめん」で済んだ話だろう。それが済まなかったのは、三多摩エリアの学会員のみなさんが抱く「知事に対する不信感」がピークに達していたことも大きい。

 2014年の都知事選で、舛添さんは池田大作名誉会長の「三多摩の時代が必ず来る」という言葉と妙にかぶるこんな公約を掲げていた。

 「これまでの都知事は、三多摩地区を軽視してきた。東京23区だけが東京じゃない」「三多摩地域の発展なくして東京の発展なし」

 三多摩地域の方はもちろん、創価学会のみなさんもこれには大いに期待をした。創価学会というと、「信濃町」のイメージが強いかもしれないが、実は三多摩エリアにも創価大学(八王子)、創価学園(小平市)、東京牧口記念会館(八王子)など学会施設は集中しており、公明党支持者も多い。例えば、八王子市議会では、10議席を公明党が占めている。

 だが、都知事になった舛添さんは手の平返しで、露骨なまでの「三多摩軽視」をしてしまう。

 『「(知事の)椅子を温める時間はほとんどない。現場をしっかり見つめたい」と舛添氏は現場主義を強調している。その割には、先日の大雪で檜原村や奥多摩町などで一時は住民約800人が孤立しても知事は視察に行かなかった。「三多摩地域の発展なくして東京の発展なし」と選挙戦で訴えていただけに、"公約違反"の声が起きるのも無理ない』(サンケイスポーツ2014年2月24日)

 池田名誉会長が掲げた「三多摩の時代」を猛アピールするも、当選したら寄りつきもしない。湯河原通いを批判されれば、三代会長の縁のある「奥多摩」を引き合いに出して正当化。このような不誠実な「友人」の姿を創価学会のみなさんが見たらどうだろうか。さすがに失望するのではないか。

●舛添さんのリスクコミュニケーションは失敗

 今回の一連の舛添バッシングから辞任までの流れを、「メディアリンチ」「衆愚の極み」だと批判をしている方も多い。

 確かに、数百万のチョロまかしでクビにして、新しい都知事を選ぶために税金がドカッとかかる。プラスマイナスで考えたら、追い込んでも都民には損しかない。にもかかわらず、視聴率欲しさに連日追いかけまわすメディアは愚かだし、それにのせられる我々も愚かだというのだ。

 言わんとしていることは分かるが、その「衆愚」に対して、自らの言葉で語りかけて納得をさせるのが、政治家の仕事ではないのかという気もする。

 今回、舛添さんのリスクコミュニケーションは完全に失敗だ。ベッキーさんと同じく、「自分のメッセージで押し通す」という「おごり」が露骨に見え隠れしていたからだ。そういう特権階級的慢心に我々「衆愚」は敏感である。リスクコミュニケーションは弁護士や検事が用いる「詭弁術」ではないのだ。

 では、どうすればよかったのか。実は今回の騒動がここまで大きくなる前、河村たかし名古屋市長が、舛添さんにこのようなアドバイスを送っている。

 『「頼むからもう一回やらしてくれ」「悪かった」「公私混同はあった」と言わないとしょうがないわな。ひたすら謝るだな、「アイムソーリー」って』(デイリースポーツ5月26日)

●次の都知事になる人

 ああゆうキャラクターなので、あまり真剣に受け取られなかったが、実は危機管理の「本質」を突いている。このアドバイスに従って最初から給料全額返納を表明し、「心を入れ替えて、これからは都民のパブリックサーバント(奉仕者)になります」と地べたに頭をこすりつけていたら――。

 少なくとも今のようにふてくされた態度で、都庁を去るようなことはなく、本人の悲願だったリオ五輪くらいは行けたかもしれない。

 いずれにせよ、次の都知事になる人は「衆愚の怒り」に敏感になっていただきたい。どうしても別荘を構えたいという人は、自然豊かな奥多摩にしてはいかがだろう。少なくとも、公明党のみなさんからはそんなに叩かれない、かもしれない。

(ITmedia ビジネスオンライン 6月21日;






【今日の風景】 

三文古道具屋親父の懐古堂です。

またまた忙しさにかまけてブログをサボってばかり。

そんな懐古堂が、久しぶりに珍しく政治問題を取り上げました。

記事の文章も、うるさ型懐古堂でも級第点です。

文章も長いですけど、そのまま全部載せました。
 
それにしても「人生の波」は、個々それぞれあるにしろ、年を取るにつれてほぼ波の幅が小さく収束するものだと思っていました。

感情と理性の幅が大きい青年期には、大きく仕事が出来る場合がある分だけ、失うもの・犠牲にするものがその影の部分で必ず大きくあると思います。

しかしそれが壮年期から老年期へと移るに従って、それらの幅がだんだん小さくなっていく 。

行動や仕事についてずっとそう考えてきました。

間違いを起こすことが少なくなる替わりに大胆な変化を起こすこともほとんどなくなる。

社会の安定期の政治家に求められる姿も、そういう小さな積み重ね的修正としての変化を起こしてくれる人物だと。 

でも例外もあるんですね。

私人ならばそういう方もたまには見かけますが、公人では珍しい。

ましてや日本を代表する東京都の知事としては。

私が云うのもなんですが、こういう人物はあまり良い老いを迎えることは出来ません。 

何だか古い友人とウォッカ・マティーニが飲みたくなってしまう話題になってしまいました。

 


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