《 毎日フォーラム・牧太郎の信じよう!復活ニッポン 》
 
日本はアチコチで「姥捨て山」になる

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・高齢化率30%の2025年
 
 1カ月前のことで恐縮だが、ある日、桜の下で妙なことばかり考えていた。あと何回、満開のソメイヨシノが見られるのかな?
 当方、71歳である。5回かな?10回かな?
いやいや、15回は大丈夫だろう。と言うのも、お上は「65歳以上は高齢者」と決めつけるが、本人は「高齢者」とは思っていない。「老人」なんて、考えもしない。
 
 昭和初期の新聞を読んだら「50歳の老人、都電に轢かれる」という記事に出くわした。妙な見出し?と思ったが、この頃、50歳は間違いなく「老人」だった。
 それが、どうだ! 今や、日本人の平均寿命は男性80.50歳、女性86.83歳。世界と比べても男性は香港、アイスランドに続く3位、女性は堂々の1位である。この80年くらいの「短い時間」で、日本人は30歳くらい長生きになった。喜ばしいことである。
 でも、数字の上はその通りだが「寝たきり」だったりすれば、長寿とは言えないだろう。
 そこで、アメリカでは1957年から「健康寿命」(障害のない期間)の統計を取るようになった。
 WHO(世界保健機関)も2000年から、盛んに「健康寿命」を言い始めた。
 厚生労働省によると(2010年ごろのデータだが)日本人の健康寿命は男性70.42歳、女性73.62歳だそうだ。
 つまり、健康寿命は平均寿命より10歳ぐらい短い。男性は65歳定年から5年ぐらいたつと、どこか身体にガタが来る。
 当方の健康寿命は?と考えてみると、脳卒中になった47歳の時、すでに健康寿命はなくなってしまった!ということ? 複雑な気分だ。
 もっと分かりづらいのが、最近、よく言われる「心の健康寿命」である。 時々、駅員に、コンビニ店員に、エレベーター嬢に理不尽な苦情を言う老人を見かける。
 柔軟性が乏しい、というか、社会性の欠如というか、ささいなことで、けんかを売る。“心の老化”なのだろう。
 高齢者の犯罪率の増加も心の老化と無縁ではない。
 高齢者の刑法犯検挙人員は(13年のデータだが)4万6243人。
 89年に比べて、実に7倍に増加している。
 内閣府調査の満足度調査から「心の健康寿命」を測る向きもある。
 「年を重ねるごとに、人間の満足度は減り、50代で『不満』が33.6%とピークを迎える。
 そして耐えられなくなる。
 つまり、日本人の『心の健康寿命』は平均50歳ぐらい」と解説する。
 この説が正しいかどうか、よく分からないが、昭和初期の新聞が 「50歳の老人」と書いたように「50歳はターニングポイント」なのかもしれない。
 満開の桜を見ながら、そんなことを考えていたら、車椅子の老人が家族に連れられて、隣の桜の下にやって来た。
 すると、もう1組 、しばらくすると、もう1組。気のせいか、桜の季節になると車椅子の姿が目立つ。
 おじいさん、おばあさんに、1年に1度の桜を見せてやりたい!という家族の思い。身体は不自由だが、家族と一緒に花見ができれば、それだけで幸せなんだろう。
 健康寿命と心の健康寿命は微妙に違う。健康寿命が短い車椅子の人でも、その笑顔を見ると「心の老化」なんて、まるでない。
 実は、この「公園」に向かう途中「東京・山谷地区」を通った。
 人の動きはごく普通だが、会う人は“年寄り”ばかり。
 若者、女性はほとんどいない。
 しかも、ほとんどがひとりで歩いている。
 相棒がいない。
 車椅子を押す家族なんて、どこを探しても見当たらない。寂しい街だ。
 ご存知のように、山谷地区は昭和の時代「日雇い労働者の街」だった。
 それなりに活気もあり、高度成長を支える街だった。
 「労働者の味方」を自認する過激派の学生がこの地に潜り込み「山谷ブルース」(岡林信康・作詞/作曲)を歌っていた。
 
 今日の仕事はつらかった
 
 あとは焼酎をあおるだけ
 
 どうせどうせ山谷のドヤ住まい
 
 他にやることありゃしねえ
 
 と歌われた「山谷」が、今、格差に悩む人々の「終着の街」になっている。
 150軒ぐらいの簡易宿泊所があり、3000人ぐらいが生活しているそうだが、半数が65歳以上。9割が生活保護で暮らしている。
 収入は月に10万円程度の生活保護費だけ。頼れる家族はいない。そういう人ばかりだ。
 厚労省などの統計によると、高齢者向けの施設や住宅で暮らしているお年寄りは全国で少なくとも150万人に上る。
 でも「施設」に入れるのは恵まれている。 
 困窮した高齢者が身を寄せる養護老人ホームは、市町村が入所費用を全額負担する。
 しかし、その自治体の財政が苦しく、入所者数を減らすことで予算支出を抑えているのが実情なのだ。
 空き部屋があるけど入れない。
 「定員割れ」状態を意識的に作っている。
 自治体の懐事情が常に優先される。
 高齢者が民間アパートに入るのは至難の業だ。
 家賃の滞納、孤独死を心配する大家は貸し渋りをする。
 また、 首都圏では東日本大震災後、住宅の耐震性の重要さが見直され、公営住宅の代わりに低所得者の受け皿になってきた木造アパートの建て替えが急速に進んだ。
 この結果、家賃が跳ね上がって倍近くになり、強制的に追い出されるケースもある。
居場所をなくした高齢者が、選ぶのは「山谷」のような貧困ビジネスの「小さな部屋」である。
 事業に失敗した自営業者、介護離職や病気によって中流から転落した人……。
 彼らには、山谷のような「元ドヤ街」にしか住む場所がない。
 日本の平均寿命は上がったが、寿命は長ければ長いほど良い、とは言いかねる。
 「高齢者の貧困率」なるものが存在する。
 貧困率とは「手取り収入を高い人から順に並べ、真ん中の人の所得額の半額未満で暮らす人の割合」のこと。
 OECD(経済協力開発機構)の調べでは、日本は19.4%。
 世界7位である。
 韓国、オーストラリア、メキシコなどはずば抜けて高いが、20%に近い日本も「深刻な格差」にいる。
 アベノミクスで景気は良くなっている、とお上は言うが、真っ赤なうそだろう。格差は広がるばかりだ。
 年寄りの“3K”なるものを聞かされた。会うたびに、年寄りは「健康か?」「金はあるか?」「孤独でないか?」と話し合う。
 “3K”に悩んでいる。
 9年後の日本は高齢化率30%を超える。 これを「2025年問題」と言うそうだが、日本は「姥(うば)捨て山」だらけになるのでは……。来年、桜を見る頃、事態は変わっているのだろうか?(毎日新聞客員編集委員)
 
(毎日フォーラム5月10日;


【今日の風景】

なにか同じような話題ばかりで懐古堂の話もつまらんなぁと云われそうですが。

今回は記事内容についての話というよりは、表題と矛盾する内容に対する驚きからの引用です。

まず筆者の高齢さにも関わらず、文章の稚拙さに驚きます。

敢えてこういう文章(所謂散文)を、わざわざ使うような軽々しい内容の話題ではありません。

また『信じよう!復活ニッポン』がどうして『姥捨て山』に繋がるのか、不思議です。

結論もいったい何を云いたいのか不明です。

内容自体も、客観的な資料の提示もなにもないままで老齢者の刑法犯罪の増加・貧困格差を論じています(対人口比率としてではなく、また刑法犯罪の内容の詳細にも触れず、単なる増加数だけを取り上げていることにも驚きます)。

これで名の知れた新聞の論説委員とは・・・。

読者をバカだと思っているんでしょうか。

何よりも山谷の現状を『姥捨て山』と揶揄する無神経さに怒りすら覚えます。

山谷は、いつから老人捨て場になったのか?

自分の意思で自分で選んで山谷に来た人間が、年を取っただけなのではないのか。

部屋が借りれないから山谷へ流れてくる老人は、それまでどこにだれと住んでいたのか。

配偶者は、子供はどうしたのか。

東京という大都会の、社会から弾き飛ばされた一部の人の老後を取り上げて、無理やり日本の老齢者がどんどんそうなりつつあると云っているだけではないのか。

矛盾と疑問の塊のような、老齢者をアホにした珍しい文章なので選びました。

 


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