幕末の剣豪、千葉周作が創始した「北辰一刀流(ほくしんいっとうりゅう)」の免許皆伝書を坂本龍馬が取得していたことを示す文書を、高知県立坂本龍馬記念館が初めて確認した。千葉一門の道場で剣術を学んだ龍馬は、後世の証言などから剣の達人だったとする説がある一方、剣術の皆伝書が現存しないため疑問視する説もあった。剣の達人だったことを裏付ける貴重な史料になりそうだ。
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 北海道にある坂本家が今夏、同館に寄贈した龍馬の関連史料の中から見つかった。同館によると、皆伝書の存在を示す文書は、7代当主の弥太郎が明治43年8月30日付で、龍馬のおいの妻に書いた預かり書。北海道で行われた坂本龍馬遺品展に出品する際に書き記したもので、秘伝巻物として「北辰一刀流兵法皆伝」「北辰一刀流兵法箇条目録」「北辰一刀流長刀(なぎなた)兵法皆伝」-と書かれていた。

 さらに、別の展覧会に出品した(龍馬の)遺物の目録(昭和4年)では、「千葉周作ヨリ受ケタル皆伝目録ハ全部焼失セリ 於釧路市」と書かれていた。これらの記述から、大正2年に釧路で起きた大火で坂本家が延焼した際、剣術の皆伝書は焼失したとみられる。現在、北辰一刀流の長刀の皆伝書は残っている。
(後略)
(産経ニュース10月14日)


【今日の風景】

10年ほど前の事、
ドイツのいとこの家で、向こうのだんな(いとこは嫁さん)と自家製の白葡萄酒を飲みながら、片言英語で話していたとき、

「おまえは兵役にいったのか?」

「日本には兵役はない。」

「明日、近くの射撃場にこれを試し撃ちにいこう。」
と買ったばかりらしいすごく大きいライフルを持ち出してきた。

「おまえは、からだが小さくて細いからこっちから選べ。」
(そりゃ身長193cm体重130kgのあんたからすれば日本人のほとんどは小さくて細いわ)
と今度は大きな木の箱を引きずってきて開けた。

中には10丁くらいの軍用ライフルや拳銃が入っていた。

「日本人は銃を使った経験がないのが一般的である。ゆえに射撃にはいかない。」

彼は、少し考えて
「ふーむ。では日本はさむらいの国だからいいものをプレゼントしよう。」
とまた別の大きな木の箱を引きずってきて開けた。

中には20本近いサーベルや銃剣や青竜刀(?)。
「一本選べ。」

帰りの成田空港で、もらった刀を取り上げられた上、半日しぼられて始末書みたいなものにサインをさせられて開放された。
ちなみにドイツのいとこのだんなは、普通の高校の地理の先生である。

ドイツ恐るべし。

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