京の桜の名所“平野神社”へ行ってみた
京都に桜の名所は多いのですが、“平野神社”は由緒、品種の多さで別格です。そこで妻とふたり嵐電(京福電鉄北野線)に乗ってその別格の桜を見に行ってきました。
バラのおねえさんの予想に敢えて背いて“長岡天神”ではなく“平野神社”の桜見物と相成りました(やはり梅でこそ『天神』かと)。
・平野神社京都府京都市北区平野宮本町にある神社。式内社(名神大社)で、二十二社(上七社)の一社。旧社格は官幣大社。神紋は「桜」。
平野神社神紋「桜」
創建祭神のうち主神の今木神は、元々は高野新笠(桓武天皇生母)の祖神として大和国において祀られた神と見られ、延暦元年(782年)時点では平城京の田村後宮で祀られていたことが知られる。桓武天皇による平安京遷都に伴って、この今木神が大内裏近くに移し祀られたのが平野神社の創建になると考えられている。平野神社の創建について、『一代要記』では延暦13年(794年)、『諸神記』では延暦4年(785年)、『江家次第』では延暦年中、『本朝月令』では延暦年中、『伊呂波字類抄』では延暦年中と記載する。公式の文献としては、貞観14年(872年)の太政官符では延暦年中の創建の記載が、次いで延暦20年(801年)の官符では平野祭の記載があり、やはり延暦頃の鎮座が確認される。いずれにしても、平安京遷都から遠くない時期に創建されたものと一般に考えられている。平野神社は古くは平氏・源氏・高階氏・清原氏・中原氏・大江氏・菅原氏・秋篠氏といった臣籍降下氏族・土師氏系氏族から氏神として崇敬され、平氏とは特に強い結びつきにあったという。その後天元4年(981年)には円融天皇の行幸があり、以後も天皇の行幸が度々行われた。なおこの円融天皇行幸の記事によると、平野社の神宮寺としては「施無畏寺」があったという。(wiki pより抜粋)
京福電気鉄道の嵐電は、嵐山本線(京都四条大宮と嵐山の間)と北野線(帷子ノ辻(かたびらのつじ)と北野白梅町の間)から成っています。
平野神社は、その北野線の終点北野白梅町から北に歩いて5分のところにあります。
嵐電の嵐山本線・北野線ともに多くの名所・旧跡が各駅に散りばめられてあります。
※「嵐電沿線みどころ案内」
今の季節、その中でも有名なのが「鳴滝」駅と「宇多野」駅間の「嵐電さくらのトンネル」 。
さて平野神社は、平日の午後(4月4日)にも関わらず、4月2日の例大祭が終わって後の4月10日の桜祭神幸祭を控えて縁日の出店と桜見物やお参りの人で大賑わいでした。
鳥居をくぐって本殿を抜けるとそこには有名な「魁(さきがけ)桜」
「魁桜」の向かいに植えられている「八重紅枝桜(やえべにしだれざくら)?」
周りは桜・桜・桜・・・。
本殿の周りも桜。
境内の「八重紅枝桜」
「平野妹背(ひらのいもせ)桜」
「突羽根(つくばね)桜」
「白雲(しらくも)桜」
「御車返し桜」
「御衣黄(ぎょいこう)桜」
「大島桜」
花がまだこれから開くものもたくさんあり、品種も量も多過ぎて載せ切れません。
平野神社の桜の品種についてはこちらに詳細が載っています。
※『平野神社の桜』
妻とふたり、早咲き桜に堪能し尽くしてため息をつきながら、平野神社のすぐ東南にある北野天満宮へ寄って後、帰路に就きました。
北野天満宮本殿東の「染井吉野」、
これは内裏の「左近の桜」みたいなものでしょうか?
・・・あれ?左下隅に懐古堂のムーミン体型妻が・・・。
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