<田園調布署>また拳銃自殺か 53歳警部補、トイレ個室で
 
21日午後10時半ごろ、警視庁田園調布署(東京都大田区)の5階トイレの個室で、同署地域課の男性警部補(53)が口から血を流して倒れているのを、別の署員が発見した。警部補は搬送先の病院で死亡した。警部補の近くに発砲した形跡のある拳銃が落ちており、自殺を図ったとみられる。

 同署によると、警部補は21日朝から翌22日朝までの当直勤務中で、制服姿だった。21日午後5時半ごろ、別の署員が見かけた際には変わった様子はなかったという。遺書などは見つかっていない。

 近藤潔署長は「誠に遺憾。事実関係を調査したい」とコメントした。同署では昨年10月、地域課の男性警部補(当時29歳)が今回と同じトイレの個室で拳銃自殺した。
 
(毎日新聞 2月22日;
ソース:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160222-00000000-mai-soci





【今日の風景】

田園調布署は、江戸時代初期に東海道が全面的に整備されるまで旧東海道の一部だった中原街道の脇道にある。

またこの地域の歴史は古く、近くにある荏原台古墳群は東京都最古の古墳群であり、その古墳群の建設は、四世紀頃にまで遡ることが出来る。

今の田園調布署が建設されるのは、田園調布地区が高級住宅地として整備され、有名になる昭和三十年代後半である。

江戸時代後期から明治時代初期のこの地域は、田畑と中原街道から東海道の大宿場町品川へ掛けての繋ぎ道として、点在する小さな茶店や池上にある日蓮宗の名刹本門寺の別院自光院があるくらいののどかなところであった。

しかし現在の東急池上線の雪谷大塚駅あたりから田園調布1丁目にかけた一帯が、その自光院の墓所であったことはあまり知られていない。

一般庶民の遺体だけでなく刑死者の遺体も、江戸時代後期から明治維新頃には既に、札の辻・鈴ヶ森といった刑場で刑死した罪人の遺体を葬る墓所が品川近辺の寺では不足していたため、田舎にあったこの自光院の広大な墓所へ葬られたようである。

当時の記録によれば、葬られたその数は数百人にのぼったようだ。

有名な大阪の千日前と同様のところだったのであろう。

そんな広大な刑死者の墓所があったところに、今の田園調布署は建てられている。

もう既に自光院も、その広大な墓所も存在しないが、その名残である寺内神社であった西守稲荷神社だけは今も署から歩いて行ける距離にある。

祟りというものが存在するかどうかは別にしても、同一場所で複数の自殺者が出るところはやはり、一度それなりのお寺か神社へお祓いをお願いするほうが良いかと思われる。


という話をあなたは信じますか?


 



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