日本酒造組合中央会が海外に日本酒の魅力を発信しようと主催する海外ジャーナリスト向けプレスツアーで、参加者は12日、会津若松市の末廣酒造で酒造りを体験した。

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 アメリカや香港、スイスなどのワイン雑誌や新聞社から8人が、カメラやノートを手に訪れた。杜氏(とうじ)の佐藤寿一さん(80)が蔵内を案内し、酒造りの手順やこつなどを説明した。

 参加者は実際に炊き上がった蒸し米を運び、手で混ぜて適温まで冷却。仕込みタンクに入れて混ぜ合わせる、昔ながらの酒造りの「仕込み」を体験した。スイスのライフスタイル紙の記者マシュー・ツェルリガーさんは「酒造りについて調べていたが、あらためて肉体的にも重労働で、繊細な技術が必要だと感じた。国に戻ったら、日本酒の良さと、食べ物と一緒に楽しむことを伝えたい」と話した。

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 このほか、一行はコメの全袋検査や会津塗の工房も訪れた。13日は同市の鶴乃江酒造やハイテクプラザを見学。放射能検査などを見て安全性に理解を深めた。

末廣酒造HP

(福島民友ネット改11月15日;



【今日の風景2】

昨日は、おおみわ神社の杉球。

今日は、会津米の酒造り紹介。

日本の酒の歴史は、その民族と同様になかなか古い。

前の記事『21世紀中に解明されそうな7つの古代ミステリー』の末でも少し触れたが、倭の記述と存在していた証拠は、古代中国の書物と遺物で見る事ができる。

wikiの中にも
『論衡』「成王時 越裳獻雉 倭人貢鬯」、「周時天下太平 越裳獻白雉 倭人貢鬯草 食白雉服鬯草 不能除凶」
倭人鬯草を貢ぐとある。

酒に漬けた薬草を貢物として献上したのである。

もし『論衡』の周の成王に貢物をしていたのが事実なら倭の存在は、紀元前千年頃には確定できる事になる。

この話は、更に尾を引きそうなので別の機会に譲る。

酒の話。

日本書紀のヤマタノオロチを倒すときに飲ませた酒。

普通酒は、米と麹と水でつくる。

この水を酒で代用したアルコール度数が高い酒が、ヤマタノオロチを倒すときに飲ませた酒。

ということは既に神代の頃にはこういう強い酒の製法も確立されていた。

今のかたちの清酒の歴史は、それほど古くない。

『僧坊酒』と呼ばれる、僧侶が平安時代位から作り始めたもの。

原料は必ずしも米だけではなかった。

これに改良が加えられて一般的に量産されるようになったのは、江戸時代。

江戸時代も中期以降になると、今の清酒とほとんど違いはない。


新米の季節を経て、酒の仕込みの季節がまたくる。

冬である。

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※画像はフリーを使用しています。

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